昭和49年06月02日 特別奉修委員会
(途中から、録音が悪い)
高橋先生の一時に、丁度あちらが二時になりました、綾部さん所のお神様新しいお部屋が出来ましたので、改式、霊様の改式をなさるとそれから、神様の新座のお祭ですから、家ん中が良かろうと言うて、昨日丁度何人でしたでしょうか、自動車三台に分乗しましてから、秋永先生達兄弟、正儀さん、高橋さん、それから福岡から文男さんのと、ここから茂雄さんと参りました。
それでもう本当にもう私は昨日、まあ思いましたんですけれども、本当にあの女主と言うか、女のご主人ですから、もう御広前全体が、もう何とはなしに優さしい、気の気付かせてやいたんですけれども、あの御簾が出けてきてるのが御簾が白にね、朱の赤のでこの黒が入ってないんです、大体黒いでしょうがこう黒と白とでしょう、それに白に赤なんですよもう何て言うその、まあ素晴らしいあぁその勿論御神縁を頂いて、その熨斗一つでも、あの柄合い一つでも全っ。
御神縁頂いてからでしたけれど、もう部屋の作りから何から一切が言うならば神様が。あの綾部さん任せに働かれたと云う感じでした、もう綾部さんの好み通りの物が出けとると云う感じがするんですよ、それでもうあちらでも一言申しました事でしたけれど、信心も出けんのに神様の方が、どう云う訳この、綾部さん任せに、はぁあの色がいかじゃった、あの柄はいかじゃった。
例えばあの内殿のこのなんかは、あぁあの是は皆さんご承知でしょうか、あの一巻き百万円位するいわゆるだけの事、あのあれだけの物お供え頂いた、金光様の御紋と亀甲の御紋とがこうなってる、あの布を角に張るだけ差し上げたんです、そりゃ見事です御簾んのね、そりゃもう本当に、もうそれこそ壁に立っただけでも有り難いね、と言う位に見事に出けてます内殿だけですけどもね。
それに総桧造りでしょそれにあの、まあ結局うそれはどう言う事かと言うとなら、氏子が神様任せなら、神様が氏子任せになると仰せられますからと云う、反対ですよね、神様の方が氏子任せになってござる、それはならどう言う事かと言うと、その神様のお喜び頂ける事だからなんです、御祭をするとか改式をするとか、あのだから神様が言うなら綾部さん任せになられた。
だから是からは、なら綾部さん自身が、神様任せになって、いわゆる今度は御神具とかその御広前とか、そげな事神様事だけではなくて、もう一切の上に言うなら神様が、綾部さん任せになられる様なおかげを頂かなければいけませんねと言うて、もう御祭を仕えてもすぐ、ならあの夜中の事で御座いますからね、お吸いも取って御座いましたからお吸いも頂いて、もうその間また帰って、帰って参りましたら、シャワーを頂いたらもう三時半でしたから、そのままこちらへやらせて頂いた。
本当に私共この観念と云う物の、が邪魔すると云う事は、夕べ休んどらんと思うただけで眠気がするね。ですから是は実を言うたら観念がそう眠くするとですよ、ですから私共はその、ある意味合いではその観念との戦いですね、ですからその観念を無くすると言う事です。そげなこつはない、神様のおかげを頂きゃそんな事無いと云う風にね、あの思い込め、例えばお商売さして頂いて、はぁ今日は日曜じゃけん商いがあるとか、今日は雨が降るけん商いが無いとか。
もう自分で決めておると云うその観念を取り払うて、神様が力さへ頂けば、神様がちゃんとおかげ下さるんだと。二日に三日休まんからと言うて、そんなに眠れ倒れるごとある事、あるはずがないけれども夕べも寝とらん、昨日も寝とらんと思うけん、眠れ倒れるごとあるとですってね、それも人間を生身持っておるとだから、限りが無いって事はありませんよ。けれどもね私はならなら今朝から。
本当に眠いのねの字も感じませんです、それはならどう言う事か、でそのなら観念を取り払うてしもうとるからかと言う事だけではないのです、先程合楽食堂の中村さんがお届しておられて、昨日はまあ色々と不如意な事やら、次々とこうあるけれども心の中に、相手の人が喜びなさる事を思い続けておると、どう言う事があっても、どっから湧いて来るか解らんけん、嬉しゅうなって来ると言うお届けをしております、ね。
例えばなら自分の思う様になる事だけが有り難いのじゃない、言うなら御理解じゃないですけれども、暑ければ暑いでまた有り難い、寒ければ寒いでまた有り難い、ならそうはぁ私どんこんされん、もう寒うしてどんこんされん、是は普通です、けれどもなら私共は段々、暑くても寒くてもやはり有り難いと云う事は、暑くても矢張り神様の御恩徳、寒くても矢張り神様のおかげで寒いとだからと、理屈を言うてもやっぱり寒かなら寒か、しるしかね、がたがた振るおうごとある。
暑か時はやっぱ汗ぶるぶるなる、と言う事が決して、なら嬉しい事でも有り難い事でもないのだけれどもです。なら心にそれを暑かっても有り難いと感ずると言う事、意味が分かるからじゃない、その中村さんじゃないですけれども、あれやら是やら思う通りになると言う事ばっかりじゃないのだけれども、まあ兎に角神様がお喜び頂ける事ばかりを、思い続け考え続けさして頂いておると、どっから湧いて来るか解らんけれども、嬉しいとこう言う。照っても降っても、なんか嬉しい物が湧いてくれば良いのです。
それが信心生活です、それがおかげを頂くのです、ですからそう云う心がね、言うならば、なら眠かっても眠くない、眠いはずのが寝とらんから眠いはず、でなからなければならんのに眠くないと云う様な、私はおかげを頂けるのじゃないかと、理屈じゃないようですね。だから思い続ける、例えば熊谷さん坂出に、行っておられますが、東京からお嬢さん帰って見えられた、もう何時もこの人は、もうじがじがするこつばっかりもう、無気になって言うからと何時も。
だからその、何時も用心しとったけれども、もう今年はなんか、それがね来ると云う事が、楽しゅうなって来たって、もうどげなこつ言うたっちゃ、その言う相手が喜ぶ様な事ばっかり思い続けて稽古されると思うたら嬉しゅうなってっち言うてから。さっきから言いよんなさいます様にですね、その嬉しゅうなると言う事が、暑さも感じん、寒さも感じん、言うなら観念を何処へか、飛んで行ってしまう、そこに私はおかげの頂けれる道が開けて来ると思うんですよね。
どうぞ。